旅するように学ぶ

仕事のこと、夫婦のこと、子育てのこと。日々感じたことや学びをつれづれと。

出会いと別れの春に考える、属人化と自分らしさと人間関係

春ですね。

 

息子の保育園では、お友達が二人転園し、新しいお友達が三人加わり、担任の先生も二人持ち上がり、もう一人の先生は1歳児クラスの時の先生という安定感ある布陣でした。

 

管理系の部署に長くいた私は、異動や担当変更を経験してはいますが、仕事をする相手は社内の人なので今まで異動でさみしいというようなことはあまりありませんでした。

 

しかし、初めて事業部所属になり、今年の春は大幅な担当変更もあり、初めて、担当変わらず一緒に仕事したいな、一緒に仕事できなくなるのはさみしいなとセンチメンタルな気持ちに。

 

これまでは、「属人化は悪」だと思っていて、誰でも変わらずオペレーションが回るようにするべきだと思っていました。まぁ、今でも、オペレーションは回るべきだと思っているのですが、業務に紐づく「人間関係的なもの」というのは、やはり属人的なものであって。

 

私も相手も、替わりのいない一人の人なので、そこに生まれる関係というものは代替できないものなのです。

 

そして、すべてが代替できてしまったら、私がやる意味ってどこにあるんだろう、産後にはそんなことも感じるようになりました。

 

大好きな増田弥生さんの著者「リーダーは自然体」の中にこんな一節があります。

 

現在、勤めている会社からあなたが去ったとしたら、職場から何が失われますか。

 

担当を離れることで何が失われるんだろう。

 

でも、「さみしいな」と思える関係をつくれたことは、私自身にとっても財産になったし、担当を離れても残る関係がきっと私がつくってきた価値なのかもしれない。

 

と、つれづれセンチメンタルに思いながら、今年もがんばりたいと思います。

 

そして人生は続く。

 

 

リーダーは自然体 無理せず、飾らず、ありのまま (光文社新書)

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「企画」という仕事に必要なたった1つのこと

えらそうなタイトルをつけていますが、企画をつくるノウハウの話ではありません。企画ビギナーの私が、企画をつくれと言われた話です。

 

「企画」というものは、生活の中にも仕事の中にも溢れている。

例えば子どもの誕生日をどんな風にお祝いしようかというのは誕生日の企画だし、お客さん向けにキャンペーンをしようというのも企画です。みんなが無意識にやっていることの中に「企画」という要素はたくさんあるのだ。

 

それなのにそれが「企画という仕事」になった瞬間に、なにから考えたらいいんだろう、なにも思い浮かばない、と固まってしまう。(あれ?もしかしたら私だけ?)

 

そもそも企画ってなんだっけ?

なんかいいフレームワークあるのかな?

なにを考えたらいいんだっけ?

 

上司から「3つ企画を考えてきて」と言われたその日から、私は無限のお悩みループにはまってしまっていた。

 

朝目が覚めてから布団から出るまでの間、通勤電車、仕事中に立ち上がってコピーを取りに歩いてる時、夕飯の準備をしながら、息子の寝かしつけをしながら、なんなら夢の中にまででてくるくらいずっと考えていたけど、アイデアのしっぽみたいなものすら掴めそうにない。やばいなー来週の会議休みたいなという気持ちもよぎる。

 

このままだと間に合わないと、とりあえずお気に入りの万年筆を手に取り、ノートに向かうものの真っ白なままのページ。

 

やばいやばい。何か書かなくちゃと、企画のテーマ的なものを書いてみる。そこから、思い付いた言葉を書いていく。

 

1ページ埋めてみて、絶望的な気分になる。

いろいろ出してみたものの、全然おもしろくないものばかり。これは出せない。

出してもボツにされるだろうな。ちょっと想像するだけでなんて言われるかわかる。「ふつう、だね」って言われるだろうな。

 

おもしろい企画がつくりたい。

ヒットする企画がつくりたい。

でも、いくらノートを見てもヒットのかけらすら見えてこない。私には向いてない気がする。うじうじ考えているうちにどんどん時間はなくなっていく。〆切からは逃げられない。

 

おもしろくなくてもいいから、数で勝負しよう。一発でおもしろい企画を出すみたいな芸当は今の私にはさっぱりできなそうだ。そうなったらたくさん作ってみるしかない。

 

思い付いたアイデア、派生したキーワード、ネットで気になった企画を書いた。ノートに何ページも何ページも書いた。いまいちだなぁ、おもしろくないなぁ、現実的ではないなぁ、そんな風に自分で検閲してしょんぼりする気持ちを味わいながら、とにかく書いた。

 

 とにかく出してみたけど、やっぱり全然おもしろくない。絶望的に発想力がなさすぎる。自分にセンスがなさすぎてへこんだ。そして、こんなことを繰り返している間にあっという間に〆切前日になった。

 

このいけてないアイデアの中から3つ。。内容がしょぼすぎるから、みんなの3倍で10こ企画出そう。そう決めて別の少し大きめのノートに手書きの企画書を書いていく。

 

 1つ選んで、企画のざっくりした概要などを少しだけ具体化していく。10回繰り返すうちに、これはこれとまとめてみるといいかもしれない。これは論点をひっくり返してみた方がいいかもしれない。これは、あのテレビ番組っぽい仕立てにできるかもしれない。

そんな風に肉付けしていく作業になり、なんとなく10個、企画らしきものができた。手書きで書いたそれを今度はパソコン開いて資料にする。その過程で、この要素足してみてもいいかも。この要素が足らないなと追加でリサーチしたり、これはあんまり現実的じゃないかもと気づいたりもした。

 

それでもなんとか、〆切までに10個。企画書というのはおこがましい企画書的なものができた。ホッとした。とりあえずこれで明日の会議には出れる。

そして、10個のうちいくつかは、もう少し具体的に考えて自分がやりたいなと思えるものだったことが、なにより私をホッとさせた。

 

企画らしきものをつくっただけで、まだ実現するかもわからないし、実現してヒットするようななにかになるかもわからない。

 

だけど、まずつくってみるということをやってみて私が、大事だなと思ったことは「自分のしょぼさに負けないこと」だった。

 

どこにでもありふれた平凡なアイデア。そんなしょぼいアイデアしか出てこない自分に悲観しても、そこで考えることをやめず、あと一歩踏ん張って考えてみる。 

 

その一ふんばりが自分の引き出しを地道に増やしたり、考える筋肉を鍛えていくことにつながる。

 

「企画」という仕事を始める時、最初に越えなければいけない壁は、自分のしょぼさに向き合い、それを乗り越えることなんじゃないかと思う。

 

量産型ワーキングマザーの生きる道

昔から、短距離走が苦手だ。

瞬発力みたいなものと無縁だから。

 

陸上をやっていた時は、100m走よりも800m。リレーより駅伝。

水泳の時は、100mのフリーより400m個人メドレーに出場していた。

 

距離は長い方がそのレース運びの中でチャンスが増えるし、15秒を13秒にするより、15分を13分にする方が日々の練習でタイムを伸ばせる可能性はあがる。

私みたいに、大して才能やセンスがない場合には、そっちの方が有利に働くことがあるのだ。

 

そうやって、小学校時代は周りを見渡して自分にチャンスのありそうな種目を選んでいたから、周りからは運動神経がいいと思われていたけれど、自分ではけっこう限界あるなと思っていた。

 

そして自分はスポーツの道では大成できないだろうなと痛感したのは中学生でバスケを始めてから。

朝練には一番に行って、部活から帰宅してご飯を食べてからは自主練習。チームで誰より練習したけれど、漫画の世界みたいに天才的な力を発揮できるわけもなく、でもディフェンスやルーズボールみたいな努力でカバーできることを頑張ることで試合に出れるようになった。

 

センスや才能がなくても、できることを積み重ねることでタイムは伸ばせるし、成果は出せる。

それが、私がスポーツから学んだこと。

 

そして働くようになって、これは働く中でも同じだなぁと思うようになった。

私には強力なリーダーシップもなければ、イノベーションを生むようなビジネスやサービスのアイデアもない。

 

だけど、「よりよくしていくための振り返りとそれを実行すること」は得意だ。

 

やり方を改善する、仕組みをつくる、そんな小さなことを積み重ねてきた。とても地味なんだけど、拡大していく組織の中でいつか誰かがやらなくてはいけない、そんな仕事が意外とたくさんあるのだ。それを、バレーボールのリベロみたいに拾っては打ち返し、拾っては打ち返ししてきた。

 

そんなわけで、私が毎日モーニングページをやったり、プランニングをしたり、週末に振り返りをしたりしているのは、そんな風に地味に毎日積み重ねていくことが、私の数少ない強みだから。

 

産前には日経DUALやワークライフバランスの小室さんの本を読みまくっていたけれど、実際にワーキングマザーになってみて、「わたしはスーパーワーキングマザーにはなれないな。」と思った。正確に言うならば、スーパーワーキングマザーになりたいと思えないわたしはスーパーワーキングマザーにはなれないなということだ。

 

睡眠時間は8時間ほしいから朝3時には起きれないし、毎日息子と寝落ちしてるから夜に仕事はできない。延長保育やベビーシッターをつかってまでは残業したいと思えなくなった。

 

そういうわけで、私はまさにこの記事でいう量産型ワーキングマザーなのだと思う。

 

でも、量産型だからってなにもできないわけじゃない。

量産型ワーキングマザーの端くれとして、今日も自分ができることで世界に彩りをつくっていこうと思う。

 

 

週休3日を実践するのに必要なのは覚悟だった

週休3日と聞くとすごく素敵な響きに感じるし、そのくらい休めたらいいなぁと思う。

だけど、週休3日で働きながら、任された業務を遂行しながら、成果を出すというのは簡単なことではない。

 

4ヶ月間、実験的に週休3日をやってみてそんなまとめを書いた。

 

そんな中で東大・中原先生のブログを読んで、週休3日を続けることの一番のハードルは強い意志と覚悟だったなと思った。

 

「みんな一律に」というところに、労働生産性の「無駄」が存在する。
だから、働き方を「個別」に最適化し、「柔軟化」することによって、この「無駄」をとりのぞこう、というのが、基本的な施策の趣旨です。

 

わたしは、今日は、ここで
いつから、いつまで働いて
どんな成果をだそう  
  
 要するに、ひとりひとりの「働き手が」、自分で、「自分の仕事」をデザインすることに向き合い、しかも、それを実行する「強い意志」を持たなければなりません。その成果を自分で引き受ける覚悟も必要です。

 

先日のブログでも書いたように、みんなと同じように週休2日で働いた方が労働時間が増えるので仕事を進める余裕がでしるし、時間が増えた分だけ成果も出せるかもしれない。みんなと同じように残業していた方が頑張ってる感がでるし、忙しくて大変なのも理解してもらえるかもしれないし、みんなで残って頑張ってる連帯感の輪の中にいられる。

 

正直なところ、みんなと一緒の方が働くのはすごく楽なんだろうと思う。

 

チームの中で1人残業しないこと。

チームの中にそんな私がいることで、MTGを定時内にセットしてもらったり、私への依頼事項は夕方までに依頼してもらったり、チームの中にはめんどくさく感じている人もいるかもしれない。だけど、会議の設定も含めて、会社という組織は「みんな一緒」という前提で進んでいくことが多くて、ほんの少し前まで私もそちら側にいた。

 

子どもが生まれて、「みんなと一緒」ができなくなって、初めて「私は」どう働きたいのかを考えた。

その結果、みんなとは違う働き方を選択することを決めた。

 

成果は引き受ける覚悟は、どうだろう。今の私は引き受けているだろうか。

でも成果をあきらめてはいない。逆に昔よりも、成果にこだわるようになったかもしれない。働く時間ではみんなに勝てないから。定時で帰ることで、やる気がないとは思われたくないから。

残業しなくたって週末3日だってちゃんと成果出せるよ、そんな結果をつくりたいし、そんな流れをこれからの社会につくっていきたいから。きっと、残業自慢の競争から離脱した私の意地みたいなもの。

 

「もっと時間があったら」「この生産性で昔みたいに働いたら」そんな風にタラレバと思うことは今でもある。きっとそれは成果が出せてない時の言い訳みたいなもの。

そう思うと、私はまだ成果を引き受ける覚悟が足りていないのかもしれない。

 

でももう、子どもが生まれる前には戻れないし、20代の時に戻れるわけでもない。

ワーキングマザーとして、時間に制限のある中で私はまだ働いていく。

 

「自分の仕事をデザインすることに向き合い、それを実行する強い意志」をもって。

それがきっとなにかにつながっていくと信じて。

 

自信がなくても、なんとなくやりたくなくても、まずはやってみることがキャリアの節目になるのかもしれない。

昨年末、今の会社に転職してからずっとお世話になっていた方が退任されることになった。

転職した時の面接官でもあり、直属の上司であったこともあり、私が異動してからもメンターとして定期的に面談をしてもらっていたからだいぶショック。

これまで定期的に相談をさせてもらったり、視点をあげるアドバイスをもらってきたから、これからその部分をどうやって代替しようかと考える中で、ふと久しぶりにキャリアの棚卸しをしてみようかなと思った。

 

せっかくやるなら、前職時代から10年に近くなったキャリアについてまとめてやってみようと早速ノートを開き、線をひき、年度を書き入れ、出来事を書き起こしていく。

そして、キャリアの節目をだいたい3年くらいに区切ってその期間のキャリアに名前をつけてみるという作業をしてみた。

 

これがとてもおもしろかった。

 

(このキャリアの振り返りは、ブログでも紹介した高橋先生の本にのっていたもの)

自分らしいキャリアのつくり方 (PHP新書)

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tabisuruyonimanabu.hatenablog.com

 

 

10年近く働いていたら、大変だったことも、もう一度やり直せたらもっとうまくできるのにということもある。でもそれを少し俯瞰して見てみることで、自分でも気付いていなかった出来事が意外とキャリアの節目になっている、ということがあるのだと気がついた。

 

というか、やりたくてやったことよりも、自信がなかったり、なんとなくやだなと思いながらやってみた仕事が実はキャリアの節目になっているということがわかった。

 

仕事は基本的に好きだし、同じ仕事をずっと続けるよりも、新しい仕事やチャレンジしがいのある仕事の方がワクワクするタイプな私は、上司からこれやってみない?と言われて断ったということは記憶にある限りないほとんどない。うまくできるかわからないなとか、これやったら当分残業続くなみたいなことも、まぁ自分の経験にはなるだろうと思って引き受けてきた。

 

だいたいそういう仕事は、やってみると実際に大変だ。初めての経験で、自分が勉強をしながら、手探りでやることになる。やりながら、「あー大変だ」って思う。

でも、それが後から振り返ってみると「自分の幅が広がる」経験になっているのだと今回気付くことができた。

 

私の場合、育休復帰とその半年後に2回異動をして、1年前には業務内容も変わった。そのたびに子育てしながらだと勉強する時間も前に比べてとれない・・・と悩みながらなんとか本を読んだり、セミナー行ったり、実際経験する中でやってきて、復帰から2年。

 

産休前とはまったく違う部署で、全然違う仕事をしていて、仕事の中で見る方向もだいぶ変わった。それは全然想像もしていなかったことで、正直異動のたびに、残念な気持ちにもなったけれど、長いキャリアの中でみると、このタイミングで業務の幅が圧倒的に広がったことはとてもポジティブなことなのだと思えるようになった。そして、逆に息子が産まれなかったら、今の経験はできなかったのだとも思うようになった。

 

これからもきっと、自信のない仕事や、大変な仕事はやってくる。

その時に、自信はなくても、なんとなくやりたくなくても、まずはやってみる。

 

そんなことを思い出してキャリアを広げる選択をしていきたいなと思う。

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