旅するように学ぶ

仕事のこと、夫婦のこと、子育てのこと。日々感じたことや学びをつれづれと。

保育園って誰のためのものなんだっけ?

そろそろ認可保育園の4月入園有無のお知らせが届く無慈悲な季節。今でも初めて受け取った「不承諾」の衝撃は忘れられない( ´△`)

 

保活をしていた時、実は「親にとっての負担が大きくない園」ということも気にしていて、第一希望だったのは子どもにとっての環境もよさそうで、できるだけ働く親の負担も減らそうという方針の私立園。

当時は復帰前で初めて子育てをしながら働くことへの不安がとても大きかったし、負担は少ない方がいい。先生方が働く親を応援してくれているというのはとても心強く感じていた。

 

しかし、認可外保育園を経て、認可保育園に転園した息子が今通っているのは、第二希望だった民間委託で社会福祉法人が運営している認可保育園。

 

見学をした時の印象は、子どもたちがのびのびしていて、先生たちの表情が自然で、いい雰囲気だなということ。でも、手作りグッズは必要で、延長保育に対する懸念を話されて、当時延長保育を前提に保育園選びをしていた私たち夫婦は苦笑い。

 

実際に入園してみると、なかなか考えさせられることも多くて、そして私の「保育園」に対する考え方は少し変わった。

 (どんな保育園なのかは、この記事がイメージが湧きやすいかと)

tabisuruyonimanabu.hatenablog.com

 

今の時代にはたくさんのサービスが溢れていて、私たちはサービスを受けて当たり前な感覚をきっと持ってしまっている。

 

だからなのか、保育園の先生へのクレームを時々みかける。そして、保育園に入るまで、私も心の中で思っていた時がある。

 

先生たちは、「子ども」のために一生懸命、考えてケアをしてくれている。

 

それを当たり前に受け取りながら、私たち親は先生たちにたくさんの要求をしがちだ。

・おむつを持ち帰るのは大変から、保育園で処理してほしい

・働きやすくするためにもっと延長時間を伸ばしてほしい

・仕事の予定があるから行事のお知らせはもっと早くしてほしい

・仕事が忙しいから、手作りのグッズはやめてほしい

 

正直私も、保活をしている時、入園が決まった時、そう思っていた。

まぁたしかに、サービスがよくなったら助かる面はたくさんある。

 

でも、「子どもたち」に向き合い、子どもたちを第一に判断をしている園の先生方を見ていて「そうか、保育園は子どものためにあるのか」と気付いた。

 

当たり前のことなのに、忘れがちだけれど、保育園はチルドレンファースト。子どもたちのための場所なのだ。(法律的には、保育に欠ける場合という言葉もあって、働く親が利用するケースを想定しているとは思うけれど)

 

いつから保育はサービスになったんだろう。

 

限られた予算を親のためのサービスに使うのか、子どもの保育や教育に使うのか。

それはきっと園によるもの。

 

特に認可保育園の場合、園の裁量というのはそんなに大きいわけではない。

おむつを処理するには、お金もかかるし、衛生面から業者選定も必要で、それは保育園ではなく自治体としての判断が必要だ。

保育園の先生をもっと増やせという話も、それは国の法律や自治体の予算によるところが大きい。

 

親になるまで、政治というのはどこかすごく遠いものだったし、親になった今もすごく身近なわけではない。

だけど、待機児童問題や、保育園の制度、そんな政治の中で決められていることに無力感を感じることを通じて、政治は前よりも身近になった。

 

おむつを保育園で捨ててほしいと思ったら、園ではなく自治体に声をあげる必要があるし、

本当におむつを保育園で捨ててほしいと思ったら、保育料があがるかもしれないことも考慮しなければいけない。

 

保育園の延長時間は、働く親の都合だけでなく、そこで生活をする子どもたちの都合も一緒に考えなくてはいけない。

 

忙しいとついつい忘れてしまうけれど、そんな時ほど少し視野を広げて考えないなと思う。

 

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