旅するように学ぶ

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「BEの肩書き」から生まれるもの

TOKYO WORK DESIGN WEEKで、勉強家の兼松さんの話を聞きに行ってきた。Twitterで兼松さんの探求プロセスをみていて、「BEの肩書き」のとこがなんだかずっと気になってたから。


なんでこんなにも気になっていたのかなぁと振り返ってみると、1つにはここ2年半くらい「編集」をいう仕事をするようになって色んな編集者の人に会ったり編集者の本を読んだりしたけれど、知れば知るほど「編集者」がなにをする人なのかよくわからなくなったことが大きいかもしれない。同じ「編集者」という肩書きでもそのスタンスや業務の範囲は人によってまったく違う。

そしてもう1つは、母になってもう3年半もたつというのに、いまだに「母」という肩書きが自分の中でしっくりときていないことがある。現実的に私は「母」であるし、息子と話す時に自分のことを自然と「ママ」と言えるくらいには母に慣れてきているけれど、それでもまだ言葉にできない居心地の悪さがどこかにあるような気がするんだよなぁ。

兼松さんは「DOの肩書き(仕事の肩書き)×BEの肩書き(在り方の肩書き)が仕事の個性を決めるのでは?」ということを話されていた。

 

例えば、詩人のようなデザイナーと、お医者さんのようなデザイナーと冒険家のようなデザイナーがいたとして、みんな同じデザイナーだけど、BEの肩書きによってアウトプットも変わるし、誰に発注するかが変わる」という例をあげていた。そして、兼松さんの「父」というDOの肩書きに対するBEの肩書きはサンタだった。つまりは、サンタのようにペイ・フォワードな父ということ。

そして印象的だったのは近所のお母さんたちを集めてBEの肩書きをつくるワークショップをやったら「お母さんたちがお互いのBEを知り合うことで助け合いが起きた」という事例だった。

話を聞いていて、なるほど私が感じていた居心地の悪さは「母」というDOの肩書きに、外からもってきた「あるべき母像」みたいなBEの肩書きがくっついているからかもしれない…と気がついた。


「BEの肩書き」は、「私は~な人」ということを書き出すことから始まるそうだ。明確な肩書きの言葉がつくりきれなくても、そのプロセスを通して「私は~な人」というBEを共有することは、肩書きや役割ではなく「わたし」として誰かとつながれるということ。社会にでてみると、「わたし」として誰かとつながれる機会は意外と少ないからこそ、そこに生まれるつながりにはとても価値があるように私は思う。

去年から会社でやっている取り組みのひとつに、自分に立ち戻る場所というコンセプトで母になった女性たちが「わたしを主語に語る」というコミュニティづくりがある。
母になるとお互いの子どもの性別と年齢は知っていても、お互いの名前は知らないということや、母になって「わたし」が見えなくなってしまうみたいなことがよく起こる。

だからこそ、わたしを主語に語ることで母になった「わたし」を見つけ、「わたし」として誰かとつながる、そんな経験をしてほしいと思ってきたのだけど、今回兼松さんの話をきいて、つながったその先には、なにが生まれるんだろう。何を生み出すことができるんだろうともうちょっとその先を描いてみたくなった。

 

「~な人」ということを出すために使える質問もいくつか教えてもらったから、まずはちょっと自分のBEの肩書きを考えることから始めてみようと思う。とはいえ、一人で自分に向き合うのってけっこうストイックな感じだから一緒にやりたい人がいたらぜひ教えてほしいです。

 

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