旅するように学ぶ

仕事のこと、夫婦のこと、子育てのこと。日々感じたことや学びをつれづれと。

子育てしながらの生活は、平泳ぎのように。

昨日、久しぶりにプールに行った。最近、肩腰首が痛く、マッサージに行ってもなかなかさっぱりとつらさが取りきれないくらいにしつこく続いていたから。

とはいえ、そのくらいしつこいのも、私が自分の体に対して無理をさせているから。あまりにしつこいので、いうなれば体からの強いメッセージなのかもしれないと思い直した。

そう考えてみると、マッサージはやはり対処療法で、回復方法としては手抜き感もいなめない。

そこで、なんとなく、そうほんとうになんとなく、泳いでみるかと思ったのだ。

もちろん選択肢としては、走るという選択肢もあった。しかし、無意識に泳ぐことを選んだのは最近少しあたたかくなってきていることと、「久しぶりに走る」よりは、「久しぶりに泳ぐ」の方がしんどくはないだろうという打算もあったように思う。

水の中に入ってみると不思議な安心感がある。初めて行ったプールだったので、少しの間、様子を観察して、なんとなくのルール(泳ぐのは真ん中の2コースで片側通行になっていて、1コースは右と左で追い越しはしてもよさそうとか、そんなようなこと)をつかんで、そうっと泳ぎだした。

最初のひとかきをしたとき、(最初は王道でクロールをした)なんだかやけに懐かしく感じた。
小学生の時は水泳に情熱を燃やし、週6で泳いでいた。今では信じられないけれど、1日3000~6000mくらいは泳いでいたのだ。

しかし、社会人になり、子どもが生まれると気軽にプールに通うような時間はどう見渡してみても見つからない。そもそもフルタイム共働きの我が家には基本的な生活そのものにも時間が足りていないのだから、当たり前だ。

そういう事情もあり、自分が泳ぐためにプールにいるということは、とても不思議な気がしたのだ。

途中、前を泳ぐ人との間隔調整のためクロールから平泳ぎに切り替えた。

平泳ぎはとても奥深い泳ぎで、静と動のメリハリがスピードにつながる。早く泳ごうと、キックやプルを急ぐと水の抵抗でスピードが落ちてしまう。

だから、1回のキックと次のキックまでの間は、慌てず体をリラックスさせて伸びきる。そして、「今」という時に次のキックをする。その繰り返しだ。

次のキックのタイミングを注意深く見計らう。
それだけに 体全体をセンサーのようにして集中する。体がきちんと伸ばせていると、ふっと頭が水面にでて「今だ」という瞬間を逃がしてはいけない。

久しぶりの平泳ぎのリズムは、とても気持ちがよくて、そうか、日々の生活もこんな風に、「その時」を待てばいいんだと、そんなことに思い当たった。

フルタイムの共働きで子育てをしていると、常に時間に終われている。
必死になってキックしても進まない平泳ぎのように、やらなければならない(と感じていること)ことばかりが気になり、早くしなきゃ、できてない、と焦ってジタバタともがいているようだ。

しかし、どんなことにも「今」というタイミングがある。平泳ぎのキックのように。

子育てをしているこの生活も、今はキックなのか、のびるのか、よくよくタイミングを見計らう。

そんな風にしてみたいと思ったのだ。
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