サイボウズ式の記事を読んで、たしかに「コミット」の範囲自体も多様にしないと、多様な働き方なんてできないよなぁと思った朝。
仕事への「フルコミット」を全員に求めていては、多様な働き方は実現しない | サイボウズ式
そもそも、みんな何にコミットして働いてるんだろう。
この記事では「コミット=時間」的な書き方がされていて、きっと日本の多くの会社で残業して多く働いていることが会社への忠誠心的なコミットを指しているのだろうなと思った。
多様な働き方を広げるためには、まず「コミット」の定義が必要なんだろうな。
「コミット=時間」となっているから、子どもが生まれたり、介護が始まったり制限ができるとコミットできなくなる。
時間にコミットするのか?
事業の数字にコミットするのか?
KPIの達成にコミットするのか?
得意分野の○○での成果にコミットするのか?
(時間以外の)何に「コミット」するのかを明確にするだけで、成果とか生産性はあがる気がする。
コミットが定義されていないことで、働いている中でのゴールやアウトプットがばんやりしてしまうということはありそうだなぁ。
子どもが生まれて、残業をやめることを決めた。制限が生まれたことで、私自身は仕事に対する意欲や成果への意識は高まったけど、時間にフルコミットしたいとは思えなくなった。
でも、過去の自分を振り返ってみると、仕事がんばろうってとりあえずやる気で乗りきろうとしている時は「コミット=時間」になっていてもなかなか気づけないのかも。
もしタイムマシーンに乗って過去に戻れたら、若かりし頃の私に伝えたい。
それ、ほんとにやる意味ある?
アウトプットは何だっけ?
手段が目的化してないかい?
とかいって、手段の目的化は今の私も気を付けなきゃなー。ただの趣味の効率化はついついやりがち。
そして人生は続く。(中原先生のパクり)
先週の出張のおみやげ。息子へのおみやげに買った山陽新幹線のチョロQが思いのほか高くてびっくりした。