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旅するように学ぶ

仕事のこと、夫婦のこと、子育てのこと。日々感じたことや学びをつれづれと。

「クロスバイク」は、自由の象徴だった

社会人3年目くらいの時、クロスバイクを買った。

社内規程もあり、さすがに通勤には使えなかったけど、片道15キロくらいまでは休日の移動も電車からクロスバイクに変えた。

 

クロスバイクで移動するようになると、なんだかとても爽快だった。満員の通勤電車にゆられる平日につかれきっていたから、休日に電車に乗っているとなんとなくそんな平日の延長線にいるような感覚があって、電車に乗らないだけで、気分がよかった。

それに、乗ってしまえば到着時刻も決まっていて、なにか事故や故障があれば私の都合とは関係なく遅れたりする電車と違って、自転車はペースもコースも自分次第。それが、なんとも自由に感じられて、とても気持ちが軽くなったのだ。

 

しかし、妊娠と同時にクロスバイクから遠ざかり、息子が生まれると我が家に新しい自転車、ママチャリさんがやってきた。そして、クロスバイクは自転車置場でカバーがかかったまま数年が経過することになった。

 

そんな中、少し前の有給ひとり時間の日(毎週の計画的週休3日は終了したけれど、今も月に1~3回は週休3日を実践している)、産後初めての映画と温泉に行こうと思いたった。

しかし、両方行ける場所は電車だと乗り換えがめんどくさい。でも自転車だったら20分くらいで着くことがわかった。

それなら久しぶりにクロスバイクに乗ろうと久しぶりにほこりだらけのカバーを外し、雑巾でふき、スプレーをさして出発。

Googleマップを見ながら、初めての場所にクロスバイクで出かけるのはちょっとした探検っぽくてとても楽しかった。

 

それ以来、ひとりでちょっと出かける時にはクロスバイクに乗ることにした。歩いて10分くらいの美容室。電車で2分先のカフェ。

クロスバイクに乗るほどの距離じゃないのに、クロスバイクに乗るだけでひとりの自由時間のような「よっしゃー!」って叫びたくなるような、そんな解放感があって、1.2割増くらいでひとり時間を味わうことができる。

 

クロスバイクは、私にとって自由の象徴なのだ。

 

そんな私にとっての自由の象徴だったり、「わたし」に戻れる過ごし方をもっと見つけていきたいな。

 

「今どきの○○」に気を付けろ

今どきの母親のトンデモ朝食が話題だ。

 

 

息子は3歳。

きっと、というか確実に世間からみたら私も「今どきの母親」だ。

 

息子の朝食は毎日レパートリーを変えて、としたいところではあるけれど、息子の主食はバナナで他のものを残す度肝多い。まぁバナナ食べてたらオッケーかなと思うレベルだし、ご飯を出しても最近は「パンがいいー!」と言われることが多い。

食べないよりかは食べた方がいいから、できるだけなにかは食べるようにという風になっていく。まぁきっと我が家と同じ悩みを抱える家も多いのだと想像する。

 

とはいえ、朝食だけとってみたら、親である私の朝食は格段に質があがった。まぁ、質というかなんというか、息子が生まれる前は朝食を食べないことや、朝食はコンビニで買って会社で食べるなんていう生活を長らく続けていたから、家で朝食を食べるようになったことだけでもすごい変化だと思うんですけどね。

 

その時代、その時代にその時の「今どき」はあるわけなので、「今どきの○○」というキーフレーズが出てきたら、ほんとにそうか?を疑い、なぜ変わったのか?という背景を考えたい。 

 

こんな情報も出てきて、イメージだけで捉えがちだなと反省したり。

 

 

「今どきの」という言葉、考えてみるとよく使われるシーンは「今どきの若者は」か「今どきの母親が」がメインで、それだけ若者と母親というのは、世間からの目が厳しくなるのだろうなぁ。

 

そんなことを思いながら、昨日は息子の3歳児健診だったので、終わってから二人で本屋に行ってから、ドーナツ屋さんでふたりでドーナツを食べながら、こんな時間の使い方もたまにはいいなぁー。いつまで一緒にふたりでドーナツ食べてくれるんだろうなぁーなんて思ったのでした。

 

 

スクランブルエッグと息子戦力化計画

3歳になった息子は、最近家事にはまっている。

 

自分で踏み台をもってきて冷蔵庫を開け、「たまごわりたいー!」

 

ボールに卵を割り、砂糖を入れて、菜箸でぐるぐる混ぜる。(だいたい卵の殻が混じってたり、卵はあまり混ざっていない)

フライパンに油をひいて、ガスのスイッチを入れ、一緒にボールの中身をじゃーっといれる。菜箸でぐしゃぐしゃの何回かかき混ぜたら出来上がり。

 

大人1人であればあっという間に出来るだろうし、料理をつくりました、スクランブルエッグです、とは胸をはってはなんとなく言いにくい。

 

しかし、3歳息子の場合、そうではない。

大人の3倍くらいの時間をかけてつくり(私もつきっきりなので工数的には6倍くらいかかっている)、「ぼくがつくったんだよー!」と大威張りである。

 

夫のアレルギーの関係で我が家の卵料理率は高くはなく、信じられないけどなんなら冷蔵庫の中に卵がないということもよくあって、息子もあまり卵を食べてくれなくなっていた。

しかし、自分でつくるようになってからというもの息子はぐしゃぐしゃのスクランブルエッグをよく食べる。なんならお代わりする。(コレステロールとりすぎだから、母としてはやめてほしい)夫には申し訳ないのだけど、息子のおかげで卵も常備するようになった。

 

正直なところ、朝にも夕方にも余裕はない。20分かけてスクランブルエッグをつくるような時間なんてどこにもない。

 

でも、スクランブルエッグくらいでも自分でつくることができたら、もし息子が1人の時でもご飯を食べられる。夫がいなくて私が高熱で動けなくなった時にスクランブルエッグがつくれたら、卵がゆくらいはつくってくれるかもしれない。

 

我が家は、両実家にもなかなか頼れない核家族の共働き。だからこそ、息子が興味をもった時に家事を経験したり、その楽しさを知ってくれることで、息子が家事の戦力として成長してくれたらいいなぁと初期投資のような気持ちでお手伝いをしてもらっている。

 

がんばれ息子!早く戦力になってね!

 

 

 

泳ぎたいけどプールに行く気になれない理由

もう4月になったのに寒いねぇ。お花見はしたいけどピクニックするのにはまだ早いかも。そんな4月の始まりでしたが、ようやく春っぽい陽気になってきた。

 

久しぶりにコートなしで出掛けられてなんだか体だけでなく、心まで少し軽いような気持ちになる。

 

そんな季節には運動がしたくなる。走ることも泳ぐことも寒いからという言い訳で先のばしすることが難しくなる。そんなわけで、定期的にやってくる運動したい熱がここ数日じわじわじわじわとあがってきている。

 

走ろうかなぁ。泳ごうかなぁ。

そんな風に迷っていたら「暑くなってきたから泳げば?」と言われて、「泳ぎたいんだけど…ゴニョゴニョ」と言っているうちに、なんで泳ごう!と思えてなかったのかに気がついた。なんとなくひっかかっていることについて、人はなかなか気付けないんだなぁ。

 

去年、私は何回か泳ぎに行っている。さすがに定期的に通うほどの時間はないから家の近くにある自治体のプールに。泳ぐたびに、私は泳ぐの好きだなぁってしみじみと泳ぐ幸せを感じるくらい、私は泳ぐのが好きだ。

 

水の中はとても静かで、走るよりも心が落ち着く。音楽をかけなくても集中できるし、全身をバランスよく動かすことで体の状態もつかみやすい。

それに、泳ぐのは走る時ほど息が苦しくなったり足が痛くなったりすることはない。筋肉痛には軽くなるけど、走った時ほどではないだろう。泳ぐことは運動不足の体にも負担少なくいい運動ができるのだ。

 

そう、保育園のお迎えに行くために駅の階段を一段飛ばしでかけあがるだけで息切れし、なんなら昨日は足首がピキッとなってしまうような運動不足な私には水泳はぴったりなのである。

 

でも、ひっかかる。泳ぎたいけど、プールに行く気にはなれないのだ。

その理由は自由に泳げないこと。

 

私がプールに行くのはだいたい平日なのだけど、プールはとても混んでいる。最近のシニアの方たちはとてもアクティブで、そんな方たち向けの教室もやっているし、とにかくたくさんの人がいる。

そしてそのためにコースが細かく分けられている。教室用に1コース、水中ウォーキング用に2コース、片道専用コースが往路と復路で2コース、そうすると往復で泳げるコースは1コースもしくはないという時もある。

そして、往復コースも片道専用コースも各コースを少なくても3~4人、多いと5~6人で泳ぐことになる。これがとてもストレスだった。

 

それは、大きなマラソン大会のスタートして人がバラけるまでの全然前に進めない 、周りを見渡しながら、周りのペースに合わせて走らなければいけないという状況に似ている。そして、マラソンの場合は最初の数百メートルだけだけれどもプールという限られた長さを往復する水泳の場合は泳いでいる間、ずっとそれが続くようなものだと思ってほしい。

もしくは街をランニングしている時に、100mごとに信号がある道で、左右の道には抜けることができず、毎回赤信号で止まらなければいけないというものだと思ってもらってもいいかもしれない。

うわっやだなと思うはずである。とにかく、それはリズムが崩されまくるということなのだ。

 

走ることも泳ぐことも、基本的には自分の体と対話しながら、自分のペースで進む競技なのだけど、混んでいるプールではそれができない。 

 

それが泳ぎたいけど、なかなかプールに行く気になれない理由。まぁ理由がわかったところで解決はできないので、

空いてるプール、探そうかなぁ。

最終兵器、餃子。

知らない人はいないであろう、餃子。

私ももちろん嫌いじゃない。1人で中華料理屋に行ったならラーメンを単品で注文すると思うのだけど、誰かと一緒なら餃子を1皿注文してシェアしたいくらいには餃子は好きだ。

 

しかし、人生の中で餃子がこれほど完璧で頼りになる食べ物だということはつい最近まで知らなかった。

 

そのきっかけはもちろん3歳になったばかりの息子である。

 

子どもというのは、得てして野菜を食べない。肉魚で食べられるレパートリーというのは限られている。なんならうちの息子の主食はバナナなのではないかと思っているくらいおかずを食べない。

 

品目数は多い方がよさそうだし、形を変えたり味付けを変えたりいろいろ試行錯誤してみるものの、食べない。というよりも、ポイッとされる日の方が多く、その辺りのやる気みたいなものはあっさりと消え失せた。

 

その結果、保育園の給食で1食は栄養あるものを食べているから家ではまぁ食べたいものを食べたらいいよ。お互いにストレスなくご飯の時間を過ごそう。それがなによりも家庭の平和である。それが我が家の方針になった。

 

そんなある日、異変が起きた。

 

餃子事件である。

 

バナナが主食な息子の餃子との出会いである。

 

夕飯のメインは餃子。とはいえ、どうせ息子は食べないだろうとお飾り程度に息子のお皿に餃子は盛りつつ、テーブルの真ん中に大皿にデデンと並べた餃子を大人ふたりで食べようと思っていた。

 

さっそくいただきます!と、お皿から餃子をとり、タレにちょんちょんとして食べる。うまい!

 

食べ始めたら、それを見ていた息子が「ぼくもそれたべる!ちょんちょんする!」と言い出したのだ。

 

はいはい、どーせ食べないんでしょなんて思いながら、大皿から好きな餃子を選ばせ、息子用にタレを用意したら、食べる食べる。1人で8個近く餃子を食べたのだ。

 

いうまでもないけれど、餃子は完璧な食べ物で、タネにはお肉と野菜がたっぷり入っており、餃子の皮は小麦粉なので炭水化物。餃子だけで、三大栄養素がすべて摂取できるのである。素晴らしい!!

他のものを残そうが、餃子を食べてくれたらオッケーである。

 

そして、餃子の素晴らしいところは、冷凍保管ができて、帰宅してから短時間で調理ができること。フライパンに油をひいてあたためて、冷凍した餃子を乗せて、お水をいれてふたをして、焼いてる間に副菜やスープを準備したらあっという間に夕飯が完成する。神すぎる。

 

そんなわけで、週末にみんなで餃子づくり大会を行い、その日の夕飯とストック用の餃子を冷凍するようになった。先日はふるさと納税の返礼で大量の餃子が届いたこともあり、我が家の夕飯は当面安泰である。ありがたや。

 

帰宅がギリギリだと帰宅してから10分しか夕飯準備の時間がないので、そんな日の最終手段は餃子。

冷凍庫に餃子があるということが、わたしにとってはとても大きい安心感になっている。(最終手段とか言いながら、最近は週1ペースでお世話になっているのはないしょ)

 

ちなみに最近の息子は餃子を1人で10個近く食べるようになって消費スピードが早い。

ということで、そろそろまた餃子大会を開催したいと思う。

 

餃子さん、いつもありがとう!!そして、これからもお世話になります!!

 

 これ読みたい。

 

あと意外と餃子はネットで売っている。

 

 

 

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