旅するように学ぶ

仕事のこと、夫婦のこと、子育てのこと。日々感じたことや学びをつれづれと。

ワンオペ育児で夫婦関係が悪化する原因はコミュニケーション不足ではなかった

夫が転職して、夜のワンオペ育児が始まって2ヶ月。ようやく少しづつ新しい生活リズムにもなれてきた。

 

そんな中で表面的には見えないまま、劇的な何かが起きたわけではないのに、知らぬまに「夫婦関係」は変化していってしまっていた。

 

直接的な原因としては、平日に話をする時間が減ってしまい、お互いの話をしたり、聞いたりすることが物理的にできなくなったこと。

夫が帰ってくる頃にはもう息子をいかに早く寝かしつけるかの佳境になっており、最低限の連絡共有をするので精一杯。夫と話そうとすると息子が焼きもちをやいて会話になってきたりでなかなか話をすることができなくなった。

 

息子が寝てから、久しぶりにふたりで話をして気付いたもうひとつの原因、それは関係のつながり方の強弱が変わることで家族3人の関係性が知らぬ間に変わっていたということだった。

 

出産するまではもちろん家族としての関係は、「夫と私」だった。

そこに息子が生まれて夫婦ふたりの間に息子が加わった。夫と息子、私と息子という一対一の関係もそれぞれあるのだけど、夫は産後に育休を取得したり、残業をやめたりと積極的に家庭にコミットして朝も夜も家にいるときは3人でいることが多かった。だから、関係性としては「夫と私」の関係が強いまま、適宜そこに息子が加わるようなイメージだったのだ。

 

そして、夫が転職し、私は夫と過ごす時間よりも、息子と二人で過ごす時間が増えた。「ママ」として過ごす時間が増えたのだ。

 

それによって私を始点にした家族の中の関係は、「私と息子」という関係が一番強くなり、そこに夫が加わるというような形に変化していた。

 

そして、夫から「なんか最近冷たいね」というフィードバックを受けることとなった。何回か話をして、ようやく原因がわかったのだけど、このまま気付かないでずっといっていたら、どんどん夫との距離は離れていっていたかもしれない。

 

ワンオペ育児自体もとても大変なのだけど、ワンオペ育児にはけっこうインパクトのある弊害がありそうである。

 

出会いと別れの春に考える、属人化と自分らしさと人間関係

春ですね。

 

息子の保育園では、お友達が二人転園し、新しいお友達が三人加わり、担任の先生も二人持ち上がり、もう一人の先生は1歳児クラスの時の先生という安定感ある布陣でした。

 

管理系の部署に長くいた私は、異動や担当変更を経験してはいますが、仕事をする相手は社内の人なので今まで異動でさみしいというようなことはあまりありませんでした。

 

しかし、初めて事業部所属になり、今年の春は大幅な担当変更もあり、初めて、担当変わらず一緒に仕事したいな、一緒に仕事できなくなるのはさみしいなとセンチメンタルな気持ちに。

 

これまでは、「属人化は悪」だと思っていて、誰でも変わらずオペレーションが回るようにするべきだと思っていました。まぁ、今でも、オペレーションは回るべきだと思っているのですが、業務に紐づく「人間関係的なもの」というのは、やはり属人的なものであって。

 

私も相手も、替わりのいない一人の人なので、そこに生まれる関係というものは代替できないものなのです。

 

そして、すべてが代替できてしまったら、私がやる意味ってどこにあるんだろう、産後にはそんなことも感じるようになりました。

 

大好きな増田弥生さんの著者「リーダーは自然体」の中にこんな一節があります。

 

現在、勤めている会社からあなたが去ったとしたら、職場から何が失われますか。

 

担当を離れることで何が失われるんだろう。

 

でも、「さみしいな」と思える関係をつくれたことは、私自身にとっても財産になったし、担当を離れても残る関係がきっと私がつくってきた価値なのかもしれない。

 

と、つれづれセンチメンタルに思いながら、今年もがんばりたいと思います。

 

そして人生は続く。

 

 

リーダーは自然体 無理せず、飾らず、ありのまま (光文社新書)

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「企画」という仕事に必要なたった1つのこと

えらそうなタイトルをつけていますが、企画をつくるノウハウの話ではありません。企画ビギナーの私が、企画をつくれと言われた話です。

 

「企画」というものは、生活の中にも仕事の中にも溢れている。

例えば子どもの誕生日をどんな風にお祝いしようかというのは誕生日の企画だし、お客さん向けにキャンペーンをしようというのも企画です。みんなが無意識にやっていることの中に「企画」という要素はたくさんあるのだ。

 

それなのにそれが「企画という仕事」になった瞬間に、なにから考えたらいいんだろう、なにも思い浮かばない、と固まってしまう。(あれ?もしかしたら私だけ?)

 

そもそも企画ってなんだっけ?

なんかいいフレームワークあるのかな?

なにを考えたらいいんだっけ?

 

上司から「3つ企画を考えてきて」と言われたその日から、私は無限のお悩みループにはまってしまっていた。

 

朝目が覚めてから布団から出るまでの間、通勤電車、仕事中に立ち上がってコピーを取りに歩いてる時、夕飯の準備をしながら、息子の寝かしつけをしながら、なんなら夢の中にまででてくるくらいずっと考えていたけど、アイデアのしっぽみたいなものすら掴めそうにない。やばいなー来週の会議休みたいなという気持ちもよぎる。

 

このままだと間に合わないと、とりあえずお気に入りの万年筆を手に取り、ノートに向かうものの真っ白なままのページ。

 

やばいやばい。何か書かなくちゃと、企画のテーマ的なものを書いてみる。そこから、思い付いた言葉を書いていく。

 

1ページ埋めてみて、絶望的な気分になる。

いろいろ出してみたものの、全然おもしろくないものばかり。これは出せない。

出してもボツにされるだろうな。ちょっと想像するだけでなんて言われるかわかる。「ふつう、だね」って言われるだろうな。

 

おもしろい企画がつくりたい。

ヒットする企画がつくりたい。

でも、いくらノートを見てもヒットのかけらすら見えてこない。私には向いてない気がする。うじうじ考えているうちにどんどん時間はなくなっていく。〆切からは逃げられない。

 

おもしろくなくてもいいから、数で勝負しよう。一発でおもしろい企画を出すみたいな芸当は今の私にはさっぱりできなそうだ。そうなったらたくさん作ってみるしかない。

 

思い付いたアイデア、派生したキーワード、ネットで気になった企画を書いた。ノートに何ページも何ページも書いた。いまいちだなぁ、おもしろくないなぁ、現実的ではないなぁ、そんな風に自分で検閲してしょんぼりする気持ちを味わいながら、とにかく書いた。

 

 とにかく出してみたけど、やっぱり全然おもしろくない。絶望的に発想力がなさすぎる。自分にセンスがなさすぎてへこんだ。そして、こんなことを繰り返している間にあっという間に〆切前日になった。

 

このいけてないアイデアの中から3つ。。内容がしょぼすぎるから、みんなの3倍で10こ企画出そう。そう決めて別の少し大きめのノートに手書きの企画書を書いていく。

 

 1つ選んで、企画のざっくりした概要などを少しだけ具体化していく。10回繰り返すうちに、これはこれとまとめてみるといいかもしれない。これは論点をひっくり返してみた方がいいかもしれない。これは、あのテレビ番組っぽい仕立てにできるかもしれない。

そんな風に肉付けしていく作業になり、なんとなく10個、企画らしきものができた。手書きで書いたそれを今度はパソコン開いて資料にする。その過程で、この要素足してみてもいいかも。この要素が足らないなと追加でリサーチしたり、これはあんまり現実的じゃないかもと気づいたりもした。

 

それでもなんとか、〆切までに10個。企画書というのはおこがましい企画書的なものができた。ホッとした。とりあえずこれで明日の会議には出れる。

そして、10個のうちいくつかは、もう少し具体的に考えて自分がやりたいなと思えるものだったことが、なにより私をホッとさせた。

 

企画らしきものをつくっただけで、まだ実現するかもわからないし、実現してヒットするようななにかになるかもわからない。

 

だけど、まずつくってみるということをやってみて私が、大事だなと思ったことは「自分のしょぼさに負けないこと」だった。

 

どこにでもありふれた平凡なアイデア。そんなしょぼいアイデアしか出てこない自分に悲観しても、そこで考えることをやめず、あと一歩踏ん張って考えてみる。 

 

その一ふんばりが自分の引き出しを地道に増やしたり、考える筋肉を鍛えていくことにつながる。

 

「企画」という仕事を始める時、最初に越えなければいけない壁は、自分のしょぼさに向き合い、それを乗り越えることなんじゃないかと思う。

 

モーニングページだけやっても効果が出ない理由

去年の秋ごろにがっつり夫婦で取り組んだ「ずっとやりたかったことをやりなさい」のワーク。

 

 

 

年が明けて週休3日生活が終わったタイミングから、その習慣がとまってしまっていた。(日の出の時間が遅くなったからとか、寒くてとか、夜のワンオペにつかれててとか、言い訳をしようと思えばたくさんできるのだけれど)

 

モーニングページができなくなって何週間かすると、なんだかとても気持ちが悪くなってきた。毎日モヤモヤが増えていく。できていないことが気になっていく。思考がクリアにならない感じがした。

 

ちょうどこの頃、仕事で新しい企画を考えなければいけなくなっていたこともあり、このままだとヤバイなという思いもあり、モーニングページを復活しようと決意。

 

再開してみて気が付いたことは、モーニングページだけじゃだめだなということ。

 

「ずっとやりたかったことを、やりなさい」は、とにかくワークが大量にあり、実際にやるのはかなり大変だと思う。

 

だから、昔の私のようにとりあえずモーニングページだけやってみて、アーティストデートや他のワークまでたどり着けないという人も多いのではないだろうか。

 

でも、あの本を読んでモーニングページをやろうとしている人に伝えたいのは、モーニングページだけでは本の効果は半分以下だということ。

モーニングページをやるなら絶対にアーティストデートもセットでやった方がいい。だまされたと思ってやってみてほしい。

 

モーニングページは、自分の心と向き合い、やりたいことを描いたり、ひっかかりに気づく役割だとしたら、

アーティストデートは、モーニングページで出てきたひっかかりを解消したり、やりたいことをスモールステップでアクションを生む役割。

 

つまり、モーニングページとアーティストデートは両輪で、ふたつをセットで行うことでどんどんひっかかりがなくなり、やりたいことができている状態になっていくという設計になっているのだと思う。

 

もっと早くセットでやればよかったー!というのと、本を読んだらまずはそのとおりにやるべきだなと学んだのでした。

 

「卒業」という節目と息子、初めての表彰状

週末、息子が2歳2ヶ月から通っていたベビースイミングを卒業した。

 

0歳でRSウイルスをやって以来、夜中に咳込んでしまい起きてしまうということも多く、定期的に小児科に行き吸入したりということが続き、小児科の先生から気管支が弱いと言われたことがキッカケで通い始めたベビースイミング。

 

初めて体験に行った時には 、だいぶ緊張の面持ちで、慣れるまでは体操も拒否したりだった。

 

約2年たってみると、プールサイドからジャンプ飛び込みをして、アームヘルパーで25m1人で泳ぎきれるようになった。体験の時はあんなに小さい子たちが1人で泳ぐなんて!!と、とてもびっくりしたのだけど、練習したり周りの子たちがやっているのをみたらできるようになってしまうものなんだなぁ。

 

私自身泳ぐのは好きだし、小学生の時のメイン活動は週6回のスイミング。残念ながら有名な選手になれるほどの実力はなかったけれど、四泳法を人に教えることができるくらいには習得しているのだけど、相手が子どもとなると話は別で。

 

最初はプールサイドを歩いてみたり、ボールをプールにまいてボールを取りたいという気持ちで泳ぎたい気持ちを引き出したり、顔を水につけることは早い段階で体験させ、それを自分でできるようにステップをつくっていたり。ベビースイミングに通いながら、「泳ぐ」ということを「遊び」とどうつなげるか、どうステップアップさせていくかという泳ぎを習得するためのデザインはとてもおもしろく勉強になった。

 

そして、そのデザインのひとつが「卒業」という節目が設定されていること。

毎月末になるとベビークラスを卒業し、幼児クラスになる子どもたちの卒業式が行われる。3歳になる子どもたちにとっては初めての表彰状を100人以上の人たちの前で拍手されてもらう。

 

息子もベビークラスに通う中で、卒業していくお兄さんお姉さんたちが表彰状をもらう時には一生懸命拍手していた。

 

そんな、憧れの卒業式という場で主役になった息子。とても緊張していたようで表彰状をもらう時は体も表情もガチガチだったけれど、もらったあとはにっこり。かっこいい息子の姿を見れて親もうれしくなります。

帰宅してからも、「しょーじょーは??」ときいてきて、夜寝る前には絵本の代わりに表彰状の読み聞かせで寝ました(笑)

 

初めての表彰状。2年間がんばったね。

そして来週からは幼児クラス。今度はパパとママとは離れて1人でプールに入り、先生とお友達とのクラスになります。がんばれ、息子!

 


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