産後に読んだ本。おもしろかった。
国語の授業を体感できる1冊。
国語教師である大村はま先生と教育学者苅谷剛彦先生、そして大村はまさんの教え子である苅谷夏子さん3人の共著。前半は、大村はま先生と夏子さんが対談形式で当時の授業について話し、後半はそれを受けて苅谷先生がまとめるというような形になっています。
「教える」ってなんなんだろうか。
まっすぐに「教える」ということに向き合って授業を作り続ける大村はま先生の考え方や取り組みになんだか胸が熱くなりました。小中学生だった頃、国語が大好きだった私ですが、国語の授業はそんなにおもしろいとおもったことがなかった。でも、こんな授業だったら、大人になった今でも、絶対に受けてみたいなと読みながらワクワクしました。
「教える」ことと「学ぶ」こと。なんとなくごっちゃに考えてしまっていた。どっちがいい、悪い、ということではなく、どちらも大切で、こどもが自分で学ぶために、適切に教えるという支援が必要なんだろうと思う。学校の先生だけでなく、親としてもたくさんのイタイ?気づきがある1冊だと思います。
学ぶ喜びを知るためには、ちょうどいい材料と、きっかけと、そして方法とを教師が示さないとなかなかできない。
これは、未来のイノベーターはどう育つのか、で書いてあった、
想像力と発明を促すおもちゃを与えるというのと近いかな。
適切なタイミングで、適切なきっかけをつくるのは大事。
【読書記録】未来のイノベーターはどう育つのか - 旅するように学ぶ
読書メモをいくつか。
書いてある内容そのものがその人をすっかり表現しているわけではない。選んだことを、選んだ表現で書く。実際にあったことでも書かないこともある。そこにこそ、その人らしさが出てくるんじゃありませんか(「私の履歴書」を書く授業より)
(子供に聞かれた時に)「自分で考えるのよ」と言うのは、何も教えていない。考える焦点を3つくらい出してあげる。ヒントをなにも出さないでは教育にならない。
(「ごんぎつね」で兵十の気持ちを聞くとき、上手にうまい言葉を使って兵十の気持ちを表現することが文学鑑賞だということになっているが)「うまく言えない」ということと、「わかっていない」こととは違う。
まとめ
今日のまとめは、本の中から、大村はま先生の1節を。
私たち、大人や教師は「なぜ教えるのか」という問いに正面から向き合ってきたのだろうか。「教えること」の力、教えることの中でこそ広がり深まる「学ぶこと」の充実がうまれる。
学びが生まれる、そして、子ども自身が自分で学ぶ力を育むために、何を、どんな風に教えることがよいのかなぁ夫婦で考えていきたいテーマだなぁと思います。
でも、教えることも学ぶことも、考えて悩みながら試行錯誤すること、それ自体が、こどもと向き合って関わっていくことなんだろうな。